当然を疑え ~ 猿の惑星 聖戦記に学ぶ疑う勇気 ~

去年の秋に公開された猿の惑星シリーズの最新作、猿の惑星聖戦記(グレートウォー)です。

30年前に公開された猿の惑星シリーズのリバイバルで以前とはストーリーが違います!

 

 

 

あらすじ

 

 

 

人間の間では猿ウイルスが流行し、免疫を持たないものは死を迎える中、

シーザーは山奥でひっそりと暮らすことを選択する。

しかし、ある日人間が迷い込み仲間を銃で撃ってしまい、事態は動き出す!

コバの裏切りで銃で撃たれ負傷したシーザーは、人間に戦争を仕掛けるシーザーを止めるために出発する。

しかし、戦争はより白熱し、ようやくわかり合えたマルコムに逃げるように告げるのだった…

それから数年後、シーザーは山に隠れ、陰で戦争の指揮をとっていた。

コバの残党が裏切りドンキーと呼ばれ(ドンキーコングからきている)、戦いの中捕虜を無事に帰すことで和平を申し入れようとしたが、思いは届かずシーザーの家族が殺されてしまう…

憎しみに捕らわれたシーザーは一人で家族を殺した大佐を追う!

猿ウイルスは進化し、免疫を持っていても感染すればしゃべれなくなる症状が現れ、その者は殺される…

猿と人間の戦い遂に決着…

 

 

 

謎の少女ノヴァに注目

 

 

 

大佐を追う途中で、軍隊が停泊していた小屋を発見しそこで謎のしゃべれない少女ノヴァに出会う。

ノヴァとはラテン語では新しい、英語で新星を意味し、キーとなる人物です!

シーザーは置いていこうとするが、モーリスは置いてはいけないとシーザーを説得し、一緒に旅をすることになる!!

人は本来言葉が話せることにより、動物の頂点にいて、罪のない動物を平然と殺しますが、言葉を話せなくなることでほかの動物と話せるようになるとは何という皮肉でしょうか…

いわばこの映画は人間が動物から見ればどう見えるか、人間の傲慢さがわかるものです。

言葉で自分が表現できないからこそ、表情や態度をより注意深く見て相手の心情を察しようとするわけです。

 

 

 

人間はどうあるべきか

 

 

 

そもそもこの映画の中での人間は、シーザーが捕虜を無傷で伝言を伝えたにもかかわらず、それを無視し家族を殺しました。

それは人間の当然と思い込みからです!

シーザーと大佐と対話の場面で大佐は自分の家族も殺してきた。

猿ウイルスにかかったからだと言っていました。

我々の命は様々な動物の命の生け贄により成り立っています。

魚や肉などすべてです!

しかし、それは我々にとってあまりに当然であるため誰も気にとめてすらいない…

我々が普段当然と思っていて何も考えずにしていることは山ほどあります!

ですがそれを当然とは思ってはいけないのです。

そして、自分が思っていることを誰もがそう思っているとは限りません。

誰もがこれを聴いて、そんなの当然だろうと思うでしょう。

しかし、当然だからこそおろそかになってしまうのです。

この物語の中では動物の頂点は人間だと思っていたからこそ、猿の態度に関係なく、猿を滅ぼすことを選んだのです。

我々にとっての当然、思い込みは実に愚かなことです。

この映画は人種差別や人の認識について人の心に語りかけています!!

人間関係で誰かが自分の思う通りにしてくれないと嘆く人が多々いますが、なぜ自分のその人に対する接し方を変えようと思わないのでしょうか?

人はいくら頑張っても変えれない。

変えれるのは自分だけなのです。

私から言いたいのはどんなものにも感謝の念を忘れないことと、尊敬の意を持つことです。

この二つがあることで自分の周りに当然のようにあるものも当然とは感じず、どんな人と接するときも相手の立場で物事を考えれることができます。

これからすべきことは当然のようにある習慣などを自分でいかに意味づけするかです…

そもそも常識とは誰が考え、決めたのでしょうか?

それを自分にとって大事なものをいかに尊重するか考えれていれば自分も周りの人も進化し続けられるのではないでしょうか?

そしてこの映画の見所は何よりもシーザーの生き様です。

憎しみにとらわれながらも自分の仲間のために動く姿が男です!!

我々はシーザーのように生きるべきです。

 

 

まとめ

 

 

 

この猿の惑星シリーズは2016年の時点で次作の予定があると言っていました。

人間の認識についてここまで考えさせられるシリーズはありません!

猿の惑星聖戦記のDVDはバレンタインデーに発売です。

よりリアリティーを生み出すためにも英語で見るのがおすすめです。

英語もさほど難しくありません!!

認識を学ぶにも英語も学ぶにも不足はないはずです!